■今回の印刷面白話は…「B4サイズ」はお殿様のわがままから生まれた!?美濃判と日本独自のBサイズの歴史
用紙が発明されたのは紀元前2世紀とされますが、用紙の普及にともない各国で様々なサイズが独自に決められました。
しかし用紙サイズが統一されないことで、用紙管理や流通の面でデメリットが問題視されていました。そこで1922年にドイツで現代の用紙サイズの原型となる、縦横の数字が国際規格として考案されることになったのです。
この数字はヴァルター・ポルストマン(Walter Porstmann)という、ドイツの物理学者が計算したと記録されています。一般的に日本で流通しているAサイズは、国際規格ISO(ISO 216)のA系列から、Aという名称が広まりました。
自然界には「フィボナッチ数」という、植物や動物が進化・発展しやすい、あらかじめ決められた数字が存在します。
一見すると関係性がない数学は、この地球上の至る所で発見することができるのです。実は用紙サイズが決まった理由のひとつに、この数学が深く関係していることはご存じでしょうか?
現代の用紙サイズは人間が作業しやすいとされる、合理的な黄金比で数字が決められているのです。
国際規格ISOでは白銀比として、縦と横の比率が (1:√2)で固定されており、このサイズではA0(1189×841mm)を二つに折り込むと次のサイズA1となり、順に決められたサイズに縮小されます。そのため最初のサイズさえ間違わなければ、あとのスケールは数字を計らなくても自動的に数値がわかるという特徴があります。このような数学的な規則性は人間が使いやすいサイズというだけでなく、用紙の製造や流通の利便性を格段に飛躍させました。
用紙サイズの中に美しい数式が隠れているなんて、知的ロマンを感じられる興味深いストーリーですね。
Aサイズの登場で発展した用紙ですが、一部の出版物やポスターなどは、Aサイズでは対応しきれないケースがありました。
そこでAサイズとは別のサイズとして、もうひとつの国際規格B系列のサイズが登場します。BサイズはAサイズより大きいため、机の上の書面より、展示物などの分野で活躍するケースが多くあります。
このBサイズはISO B列(ISO 216)として誕生しましたが、その後日本で導入されるJIS B列(日本規格)とは数字が異なる点は注意が必要です。ISOは基準となるB0サイズが1000mm×1414mmなのに対して、JIS B列はB0サイズが1030×1456mmと決められており、統一されていないためしばしば混乱を招く要因にもなっているのだとか。
日本では江戸時代に用紙サイズが独自に発展しており、用紙に美濃紙が用いられたことから、現代では「美濃判」として知られています。
9寸×1尺3寸(約273mm×393mm)というサイズは、当時の日本文化にとても都合の良いサイズでした。美濃紙は古くからある大和紙のひとつで、平安時代にはその製法が確立したとされます。
現代でも美濃紙は高品質な天然和紙として有名であり、薄いのに丈夫という相反する特性を有しています。これは雨が多い岐阜県では必須の特性で、印刷用紙だけでなく提灯や和傘の素材としても重宝されてきました。
また日本文化のひとつである障子にも、この美濃紙が好んで利用されたことで、当時の日本文化においてなくてはならない存在でもありました。江戸時代は「手すき」とよばれる、木枠に白皮を溶かしたものを入れ、均一に伸ばして用紙に整える技術が生まれ、より効率的に美濃紙を大量生産できるようになりました。
美濃判の台頭により、日本の用紙サイズは世界と違う道を辿ることになります。
これが現代のJIS B列(日本規格)のサイズを決める、重要なファクターになりました。美濃紙は江戸時代では高級和紙として有名になり、美濃判は尾張・紀州・水戸を中心に広く普及しました。
この美濃紙を大層気に入った人物のひとりが、時の将軍である徳川公だという逸話があります。なんとあの「関ヶ原の合戦」でも、この美濃紙が活躍したという噂もあるほどです。
当時としても美濃紙は高級用紙であり、ハイブランドとして認知されていたことがうかがえますね。美濃判は江戸幕府御用達の必需品として、美濃紙が徳川将軍に愛されたことがルーツになっていることに驚きを隠せません。
もしお殿様が美濃紙を気に入らなければ、今のJIS B列は違う形になっていたかもしれないのですから。Bサイズの印刷物に触れるとき、日本の古きヒストリーに知的好奇心を感じる、そんな素敵なエピソードですね。
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